ザ・ラティン・キングス (The Latin Kings)

ラティン・キングスの存在がなければ、スウェーデンのヒップホップ・シーンはまるで違うものになっていただろう。このヒップホップ・グループは、ドッゲ・ドッゲリート(Dogge Doggelito)とロッデ・ペンチェフ(Rodde Pencheff)、そしてチェペ(Chepe)とサッラ(Salla)のカンポス(Campos)兄弟の4人によって1992年に結成された。4人はいずれもラテンアメリカがルーツの幼馴染であるため、グループ名を“ラテンのキング”と名付けた。ファーストアルバムのリリース後に、メンバーのロッデはグループを脱退し、新たなヒップホップ・グループ、インフィニト・マス(Infinite Mass)を結成して成功をおさめ、最近では リゴ というアーティスト名でソロ・キャリアをスタートし、早くも成功を収めている。

なぜラティン・キングスが偉大なのか? その理由を探すのは容易いことだ。 まず第一に、彼らはまぎれもなくスウェーデン語ラップの最初のヒップホップ・アーティストの一つだからだ(最初にやったのは ユスト・デー(Just D)と言われている)。そして、ストックホルム郊外の今日の生活や有様がいかなるものであるかということを、一般的なスウェーデン人が知るための窓を初めて開けたのが彼らなのだ。メンバーはみな、ストックホルム南部の郊外、地下鉄の赤線の南端に位置するボーチルカ(Botkyrka)に住んでいた。ここは住民の多くが移民や難民で、他の地域に比べても貧困が色濃く、四方をコンクリートに囲まれたスウェーデンで最も“ラフ”な場所の一つだ。こういうバックグラウンドも持ったバンドは、彼ら以前にはスウェーデンに存在したことがなかったのだ。

ラティン・キングスのサウンドは、レゲエ・テイストの典型的なヒップホップだ。彼らのサウンドがフォーカスされる大きな理由の一つは、彼らがリンケビースヴェンスカ(Rinkebysvenska)と呼ばれる移民が多い地域の訛りの強い方言でラップをしていることだ。リンケビースヴェンスカとは、リンケビー(Rinkeby)というストックホルム郊外の地名から名付けられた方言で、トルコ語、スペイン語、アラビア語などから取り入れた単語が多く、イントネーションや文法も標準的なスウェーデン語とは少々異なる、一種独特な言語なのだ。彼らがこの方言を使ったことがかなりの注目を集め、スウェーデンの一般人がそれを理解できるようにか、一時期ではあるがこの“郊外スウェーデン語”の単語が牛乳パックの裏側に記載されていたくらいだ。

ラティン・キングスの歌詞は、主に政治やオンナ、そしてノシュボリ(Norsborg)、アールビ(Alby)、フィットヤ(Fittja)といった郊外の街での生活についてだ。すべての歌詞は、カリスマ的リードシンガーのドッゲが書き下ろしていて、中には決して賢明ではない歌詞もあるが、多くは創意に富んでいて、実験的ですらあった。特に最初の2枚のアルバムは、どんなドキュメンタリーよりもストックホルム郊外の有様を克明に描いていて、正直で、大胆で、そして何よりも面白かった。

ラティン・キングスがそのキャリアをスタートさせたのは、1992年に行われたスウェーデンのラップ選手権で準優勝した時だ。この大会で、当時すでに名を馳せていたヒップホップ・グループの ウェール(Whale)のメンバーで、プロデューサーでもあったゴードン・サイラス(Gordon Cyrus)の目に留まったのだ。結局のところ、彼のプロデュースにより1994年のファースト・アルバム「Välkommen till Förorten」がリリースされたのだ。このアルバムに入っている、革命的とも呼べるファースト・シングル「Snubben」は、スウェーデンを代表する作家アストリッド・リングレーン(Astrid Lindgren)原作の映画「エーミル・イ・レンネベリア(Emil i Lönneberga)」のイントロからとった少女の歌声のサンプルが挿入されていて、そのサウンドとカルチャーの極端なミックスはある意味サイケデリックですらある。今やこのアルバムは、スウェーデン中のプリ・パーティやアフター・パーティで流される定番の1枚にもなっている。

セカンド・アルバムのリリース前に、彼らが住む地域沿線“赤線”から名付けた「Redline Records」というレーベルを立ち上げた。それと同時にチェペとサッラのカンポス兄弟が自ら自分たちのプロデュースをするようになった。それから、ダディ・ボースティン(Daddy Boastin)とナン・シュバン(Nang Shubang)をコンスタントにゲストアーティストとして迎えるようになった。1997年のセカンド・アルバム「I skuggan av betongen」とシングル・カットの「Passa micken」は高い人気を誇り、その後の“ヘビー”なスウェディッシュ・ヒップホップのサウンドに強く影響したと言われている。

 

彼らの最後の2枚、2000年リリースの「Mitt Kvarter」と2003年の「Omertá」では、その前の2枚で成し得た成功が再現されることはなかった。この時点ですでに、彼らの功績によって(といっても過言ではないだろう)醸成したスウェーデンのヒップホップ・シーンは、新しいグループや彼らに影響を受けたアーティストらが担う時代へと変わりつつあった。ラティン・キングスのサウンドはよりシリアスになり、「Snubben」で見せたサンプリングの妙や一風変わった韻のラップはもはやなくなってしまった。同時に、彼らはすでに多くのスウェーデン人にとって一種の“名物”のようなものにすぎなかった。リーダーのドッゲはインタビューで「俺たちはケバブと同じくらい人気がある」と自虐的に語っていた。

彼らに関しては、歌詞コレクション「The Latin Kings lyrics」(2004年)と伝記「The Latin Kings portfolio」(2005年)の2冊の本が出版された。2007年にはドッゲがグループ脱退を宣言。カンポス兄弟は今も相変わらずプロデュース業を続けており、ドッゲはソロ・キャリアをスタートさせようとしていて、ゲーム・ショーなどのテレビ番組にも出演しているようだ。何はともあれ、ラティン・キングスは今でもスウェディッシュ・ヒップホップのキングだ。現在のスウェーデンのヒップホップ・シーンやサウンドを理解する上でも、ラティン・キングスは避けては通れない。
(Text: Gustaf Kjellin Foto: Maud Nycander)

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